長い道のりを経て、たどり着いた我が子の出会い

米国と日本で計10回の採卵と複数回の移植を経験されたご夫婦。40歳を過ぎた頃、偶然コウノトリの卵子提供広告を目にし、台湾のコウノトリ生殖医療センターで治療を受けることを決意されました。医療チームのもと、免疫調整とERA検査によって移植のタイミングを調整し、2回目の移植で着床。2025年、元気な男の子を無事に出産されました。

2026-10-21 00:00:00

長い道のりを経て、たどり着いた我が子の出会い

その時が来れば、きっとわが子に出会えると思っていた

 
私が赤ちゃんが欲しいと真剣に考えるようになったのはいつからだったのかは定かではありませんが、不妊治療を始めよう!と決心した時、気が付けば40歳を過ぎていました。

30代の頃の私は、赤ちゃんは授かりものという先入観があり、周りに早くから不妊治療をしている友人や知り合いもおりましたが、なんとなくピンと来ず、勧められても、『いや、私はいいや。だって自分のお腹に注射するなんてとんでもない?』というレベルの考え方でした。

いま思うともっと早くから治療を初めていれば。。。と少し後悔していますが、それでも当時の私は40歳を過ぎていようと不妊専門のクリニックで治療をすればすぐに妊娠するだろうと大きな勘違いをしていました。
 

長く険しい、不妊治療の道のり

 
私ごとですが国際結婚でアメリカに滞在している為不妊治療の旅はアメリカのから始まりました。アメリカで2回、日本で8回の計10回の採卵を3か所のクリニックで経験しましたが、私の頭の中は当時かなり混乱していました。それまでは努力すれば結果が付いてきた人生でしたが、不妊治療に関しては自分なりにどんなに頑張っても一向に明るい光が見えてこないのです。
精神的な負担だけではなく、採卵、移植、PGT-Aテストの度にお金が一瞬でなくなるという現実に自分の金銭感覚もおかしくなり、地道に働いて貯めてきた貯金はものすごい勢いで消えていきました。
私がコウノトリさんの東京オフィスに出向いたのは、東京の某有名クリニックでの採卵後、『正常胚が1つもない。』というこれまでの治療の中で最も成績が悪く、現実を受け止めるのが難しい時でした。毎回、次こそは、次こそは。。。と願いながらも、『今回もダメでしたね、でもこの年齢なら仕方ないですよね。』という様な、慰めなのか何なのか分からない言葉を聞くことにも慣れてきている自分がいました。
 

このまま不妊治療を続けるべきか、もう諦めて止めようか?を真剣に悩んでいる私にとって、コウノトリさんのパンフレットにはきちんと根拠のある数字があり、自分が選んできた道がある意味無謀で、どれだけ大変な道だったのかを初めて思い知らされました。私の年齢で妊娠できる正常胚へたどり着くためには、こんなに受精卵が必要なのか?と驚きました。

そして胚盤胞以外にも免疫や他の要素が、着床→妊娠→出産まで継続出来るのかに大きく関わっていることも知りました。


もちろんその場ですぐ申込みが出来るような簡単な決断ではありません。『卵子提供という選択なら私自身の卵ではなくても、夫のDNAを受け継いだ赤ちゃんがこの世に誕生し、可愛い赤ちゃんを私の手で抱くことが出来2人で一緒に育てていける可能性がある、家族を増やすことも出来るのでは?』いう希望が見えました。

そこから数か月の間何度も夫と話し合いをし、とりあえず『初診の登録書』を作成してみようかと動き出した時期にちょうど1通のメールがコウノトリさんから届きました。タイミングが合っただけではなく、一切営業的な空気を感じず、私はすんなり前に進む心の準備が出来たと感じた瞬間でした。

旦那の実母、つまり私の義理の母も私たちが不妊治療をしてもなかなか結果が出ないことを心配しており、養子はどうなの?と勧められたことがありました。これはアメリカが日本に比べ養子縁組や連れ子同士の再婚が珍しくないという、家族構成が複雑な家庭が多事実背景もありますが、彼女に『自分の家族が欲しいなら、どうやって、どんな方法でその家族を作るかを考えなきゃね!』と前向きに言われたことも卵子提供の道へ進むきっかけをくれました。

ただし現実的には簡単な決断ではありませんでした。
アメリカから日本、そして台湾へ向かうためには、ここで一旦仕事を離れる決断が必要でした。『仕事は好きだけど仕事は自分以外に誰か変わりがいる。でも赤ちゃんは別、私にしか出来ない。』と自分に言い聞かせました。

もうひとつの気がかりは私の実母でした。妊娠初期は実家に滞在しており、バックアップクリニックへの送り迎えや、つわり期もお世話になりましたが卵子提供には当初大反対でした。

いつも味方でいてくれた彼女に『そこまでして欲しい?』とあきれた様な表情で言われた時はさすがにショックでした。
卵子提供の道を選んだとしても妊娠出来るかどうかの保証はありませんし、実母としての彼女の反応も全く理解出来ない訳ではありません。卵子提供を検討するものの、『なんか違うよね。』という結論に至った別の夫婦も存じています。

家族の中でも複雑な想いを抱えながら台北へ向かうことになりました。これまでの自分の不妊治療の成績を見ても不安がないはずがありません。ただ今更ながら夫に当時の心境を聞いたところ “Let’s do this!!” だったらしいです。
 

希望を感じながらも、あと一歩届かず


台北に到着した翌日、コウノトリさんのクリニックで私が目にした光景はいまでも鮮明に覚えています。台湾、日本のスタッフの方々、そして何より患者さんたちの表情が明るい事に本当に驚きました。

日本の不妊治療クリニック内では患者さんは疲れた表情で目線は下、そして私がそうだったのですが、不妊治療に通っていることに負い目を感じているのか、どことなく何かよどんだ雰囲気があるのです。それが普通と思い込んでいた私にコウノトリさんのきれいなオフィスと明るい雰囲気が私に希望を与えてくれました。そして何より初診の前から細かいメールのやり取りを何度もしていたおかげで、これからの治療、そして大切なことは、自分の身体をもう一度信じてみよう!と思える状態になっていました。

初診を終えた後希望に合うドナーさんに出合うまでに数か月かかりましたが、22ケの凍結卵子のうち16ケが正常受精するという自分の卵子では考えられない結果を頂いた時は、夫にすぐに電話し喜びを分かち合いました。これまで自分たちの受精卵に対しては毎回PGT-Aテストを行ってましたが、今回はこの受精卵の数とドナーの方の年齢を踏まえ、PGT-A検査は行わないという選択をしました。

通常の流れですとこの後にすぐに移植へと進めるのでしょうが、私は日本での里帰り出産を予定していた為アメリカを長期間離れるための許可証となるVisaを取得しなければならない課題がありました。申請自体は初診前に済ませていたのですが、予想していた通りVisaが下りるまでに約15カ月かかり、この期間がとてつもなく長く感じました。実際コウノトリさんへ最初の問い合わせのメールをしてから1回目の移植までにすでに2年もの歳月が流れていたのです。

新しい希望に満ちた台北での1回目の移植は、期待とは裏腹にこれまでの不妊治療同様うまく行きませんでした。移植前の血液検査ですでに分かっていたことなのですが、私の免疫機能に問題がありました。日本のバックアップクリニックで着床の確認は出来たものの、その後胚の成長も止まりHCGの数値の増加が見られず、数度の出血があったのち諦めるしかない結果となりました。

『今後こそは。。。』と初めて臨んだ卵子提供での移植は期待が大きかった分、これまでとは異なる種の喪失感で自分が情けなくなり、ただただ茫然となっておりました。父親に結果をうまく伝えることが出来なかった為に彼も状況を呑み込めなかったのでしょう。移植後から始めてくれた、私の代わりに重たい荷物を持とうとしてくれた父親の行動に、『もう必要ないから、やめて!』と思わず叫んでしまいました。私が父に対しあのような態度を取ったのは多分人生で初めてだったと思いますが、そこでようやく涙が止まらなくなり、それと同時に辛い現実を受け止めた瞬間でした。

アメリカで待ってくれている夫に電話をし。今後どうするのか?という事をきっと話したのでしょうが、細かい会話の内容は覚えておりません。もうここで治療を終えたい。これ以上は精神的に難しい。これからも2人で仲良く夫婦で生きていこうね。という流れに一時はなったのですが、夫から『お金はどうにかするし、まだ冷凍している胚盤胞があるのだから、もう1回だけ頑張ってみないか?』と提案されました。これまでも私と性格が正反対の彼に何度助けられたか分かりませんが、そう言われた時に私もまだ諦めたくないという思いがあることに気が付きました。
 

忙しさも愛おしい、幸せな日々


1度目の移植の結果を踏まえ、2度目へ向けては全く新しい治療法をコウノトリさんから数種類ご提案頂きました。それぞれのメリット、デメリットも丁寧に説明してもらったのですが、私にとっては全く未知な治療法だったので、自分でネットで情報を集めては質問を繰り返しというやりとりが続きました。そしてこの時に、担当者の方から勧められた-患者さんの体験記-を初めて読みました。

世代が違うにせよ、全員が1回目でうまく行ったわけではなく、2回目以降に出産まで至った実例の多さを知るのです。『1回ダメだったくらいで諦めて立ち止まっている時間はないな。』と単純で負けん気の強い性格の私はすでに次回の移植へ向けて気持ちを切り替えていました。
2度目の移植に向けてまずは約3カ月間、免疫調整の薬を飲む必要がありました。すぐに移植出来ないということがプラスの材料となり、勧められてたERAテストを初めて受けました。このテストの存在自体は知っていましたが、これまでは踏み切ることはありませんでした。いま思うとこの選択も功を奏したのだと思います。実は着床の窓が10時間もずれていたことが判明したのです。これを元に台北での2度目の移植スケジュールも調整してもらいました。前回と異なり。移植日より数日前に台北へ渡り、免疫調整をする点滴や注射も打ち、準備は全て整っていました。


そしてついに移植から約37週後の先日、念願の我が子に出会えました。


 

36週の超音波検査の結果が良くなく予定日より帝王切開の手術が前倒しとなったり、出産数時間後に急に大量の出血があり人生初の輸血も経験しましたが、無事に産まれてきた我が子が愛おしくてたまりません。

妊娠期間中、心理的に『私の子』と言い切れない時期があったのは事実です。でも妊娠7か月頃から毎日何度も胎動を感じ始めると、もうそんな事は気にならなくなりました。自分の身体の中で小さい命が育っていると感じられた、あの数か月の感覚は言葉では表現出来ません。

2500g以下で小さく生まれた息子でしたが、0歳40日で体重は4000gを超えました。初めての慣れない育児は思い通りにいかない事ばかりですが、我が子に逢えるまでの道のりに比べたら何てことない気がします。

いま心から思うことは、自分の気持ちに正直に進んで良かった。
コウノトリさんを信じて良かった。ということです。
本当にありがとうございました!!
 

コメント:

このご夫婦は、米国及び日本で複数回の採卵と移植を受けましたが、成功には至りませんでした。繰り返される多くの挫折や夫婦、家族を取り巻く苦悩や葛藤を乗り越えたご夫婦の軌跡は、決して一言で表せるようなものではありません。長い年月を経て、当院で卵子提供を受け、免疫調整やERA検査を組み合わせることで、着床に成功し、無事に妊娠・出産を達成されましたこと、大変嬉しい結末となりました。心よりお祝い申し上げます!

  1. 高齢と自己卵子の限界

    40歳以上の患者は卵子在庫量が減少し、染色体異常率が上昇します。長年の治療で結果が得られなかった現実に直面し、卵子提供を選択したことは、正しい選択でした。
     
  2. 免疫調整と着床戦略

    初回の移植では成功となりませんでしたが、免疫診断の上で重要な情報を得ることができました。二回目の移植前では免疫調整とERA検査を実施し、ERA検査による正しい移植のタイミングを検査結果に基づき調整することで、最終的に着床に成功しました。
     
  3. 海外での治療とサポート

    治療はアメリカ、日本、台湾と国を跨いでのものとなり、ビザや勤務調整、そして心理的負担が多く生じました。コウノトリ生殖医療センターでは、日本語コンサルタントチームのサポートの下、台湾における治療を負担なく進めることが可能です。ご安心してお任せください!
     
    卵子数 正常受精 胚盤胞 移植した胚PGT-A/PGS 結果
    22 16 9 培養5日目 4BC(未生検胚)
    培養5日目 4BC(未生検胚)
    元気な男の子を出産
     

*実際の治療は医師の診断のもと行っていきます。
本文は編集当時の治療状況、及びご提案です。